fc2ブログ

まつどTODAY~松戸市議会議員 みのわ信矢のまちづくりブログ

松戸市議会議員 みのわ信矢の『まつどTODAY』にようこそ! 当ブログは、“まつど”で生まれ、育った僕が、 “まつど”が優しく元気な街になるように願うブログ。 地域活性化を目指す全国の皆さんも、是非ご覧下さい!
まつどTODAY~松戸市議会議員 みのわ信矢のまちづくりブログ TOP  >  社会

路上生活者をあざ笑う若者たち


数日前から、若者がホームレスの方に「食べ物を買ってあげる」といってコンビニに同行し、レジの前で置き去りにして逃げ出し、困惑するその姿を撮影して喜ぶという動画が拡散され批判が集まっています。
この騒動を見て、アランドロン主演の映画「太陽がいっぱい」を思い起こしました。

326050971_1112487659425924_4149957825488094285_n.jpg


アランドロン演じる主人公は貧乏な芸術家ですが、ある日、お金持ちで嫌な性格の友人に船遊びに誘われます。小さなヨットに乗り移った時に、ボンボンの友人はアランドロンの乗ったボートを海に残してクルーザーを発進させ、嘲笑います。話題になっている動画は、まさにこのシーンと同じです。そしてアランドロン扮する貧乏な青年は、芸術界における階級への復讐を目論みます。
高度経済成長期以降の日本では、貧富の差はあれど、社会には階級といえるほどのものは存在しないと思われてきました。それゆえ、生活に困窮する人を「別次元の人」と捉え蔑視するようなこともなくなったかに見えました。
しかし所得格差の拡大が人々から希望を奪い、同時に、自分より「下層」だと感じる人には極めて冷徹になれてしまうようです。今回の動画には、そのような我が国のメンタリティーが現れているように思えてなりません。
太陽がいっぱいでのアランドロンは、階級社会に苦しむ大衆の象徴ですが、その青年が自分を蔑む無慈悲な富裕層に復讐を遂げます。
日本をはじめ各国で所得格差の拡大に悩んでいますが、この問題を放置したままにしておくと、貧困に苦しむ人々の怒りがさらに膨らみ、暴発してしまうように感じます。
#みのわ信矢
#太陽がいっぱい
#格差
#貧富の差
#松戸

スポンサーサイト



[ 2023/01/19 22:23 ] 社会 | TB(0) | CM(0)

QVCマリンフィールドのトイレが、いいね!

QVCマリンフィールドのトイレの改修が進んでいます。
とても清潔感のあるキレイなトイレとなり、素晴らしいですね!




QVCマリンフィールド マリスタ トイレ

QVCマリンフィールド マリスタ トイレ


千葉市の予算によるQVCマリンフィールドのトイレ改修工事は、H25年度から実施されています。なので特に目新しい動きではありません。しかし先日、息子の高校の野球部の試合の応援で、改修後に初めて球場を訪れ、その生まれ変わりように感激したので、ブログ記事として投稿です!

息子が小学生の頃は、千葉ロッテマリーンズ戦を観に、年に何度もマリスタ(QVCマリンフィールドより、つい“マリスタ”と言ってしまいますね・・・)に行ったものです。そして、東京ドームなどと比べた時に、その公共施設然とした無機質かつ質素な造りに、いささかの寂しさを感じていたものです(苦笑)。
ホテルのトイレを思わせる東京ドームのトイレに、ジャイアンツ・ファンはうらやましいねぇ、などと息子と話しをした事もあります(汗)

と、余計な話しはこれくらいにして、早速、トイレのご紹介!
男性用しか観る事ができなかったのは残念ですが、そこはやむを得ません。





ピカピカのトイレはやはり気分がいいです!

QVCマリンフィールド マリスタ トイレ

QVCマリンフィールド マリスタ トイレ

青くフチどられたゲートをくぐりトイレに入ると、以前とは見違えた明るいイメージにビックリ!
照明が蛍光灯からLEDに変更されたことが影響してでしょう、室内が爽やかな明るさに包まれています。
グリーンの床シートは、時間が経つと見た目の劣化が早そうだなと思いましたが、ケチをつけるより、まずは改修の努力に感謝したいと思います。

キレイに並んだ新しい小用便器が気持ちいい。
願わくば、低位置にジュニア用を1器設置したほうがよかったかな、と思いましたが、いかがでしょうか?

そして、真っ白に塗り替えられた入り口周辺の壁が既に汚れてしまっているのは残念ですが、それは致し方ないでしょうね・・・。




洋式に変わり利便性UP!

まずは、Before↓

(次の画像と、その後の手洗い場の画像は、千葉市のHPよりお借りしました)
QVCマリンフィールド マリスタ トイレ

After↓
QVCマリンフィールド マリスタ トイレ

QVCマリンフィールド マリスタ トイレ

オーシャン・ブルーのパーテーションで区切られた個室には、様式便座が設置されました。
これはいいですね!青い壁と白い便座のコントラストが、眩しく美しいほど(笑)

評価すべきは、全ての個室にベビーチェアが設置されている点。近年の公共施設では当然になりつつありますが、男性の利用が多いであろう野球場での設置は素晴らしいですね。

除菌クリーナーを探してみましたが、これはありませんでした。でも、それは望みすぎと自覚。気になるのであれば、外出時には持っておくべきですね。





手洗い場にはおむつ替え台も


Before↓
QBCマリンフィールド マリスタ トイレ


After↓
QVCマリンフィールド マリスタ トイレ

QVCマリンフィールド マリスタ トイレ

QVCマリンフィールド マリスタ トイレ

用を済ませ出口へと向かうと、手洗い場もイイ感じ!
隅にはちゃんと、おむつ替え台も用意されています。このあたり、個室のベビーチェアの設置とあわせて、しっかりと時流にあわせた設備になっていますね。

また、出口付近には、エアータオル(ジェットタオル)も完備。風量もバッチリ。一台だけというのは少し残念でしたが、予算の都合もあるでしょうし、随時増設してもらえるよう期待です。



昨年度(H25年度)から、このトイレ改修に取り組んでいた千葉市及び千葉市議会。過日は公立学校へのエアコン設置を求める請願への不採択の理由が、全国的な批判を浴びてしまいましたが、この取り組みが出来るのですから、今後はエアコン設置についても意識が変わってくれる事を期待したいものです。

と、やや話しがそれてしまいましたが、トイレがキレイであると、その場所で過ごす時間はより充実したものになります。
このQVCマリンフィールドのトイレ改修については千葉市及び千葉市議会には感謝したいと思います!
スタジアム内全てのトイレ改修完了まで、頑張ってください!!





千葉県松戸市 ブログランキングへ










[ 2014/07/16 19:32 ] 社会 | TB(0) | CM(0)

小中学校への冷房設置を千葉市議会が不採択

H26年6月25日、千葉市議会は、市立小中学校と特別支援学校の教室にエアコンの設置を求める請願について、不採択の議決をしました。


エアコン


「耐える能力も必要」「トイレ改修が先」などがその理由です。
この議決を知り、千葉市議会の議員は、現代の学校の夏季の状況を知っているのかどうか、強く疑問に思います。

みのわ信矢は、私の子どもが通う常盤平中学校において、最も多く学校に足を運ぶ保護者であると自負しています。そしてそこで体感する夏季および秋口初旬の学校内の暑さは、児童・生徒に集中して勉強をさせる限界を超えていると感じています。

「自分が子どもの頃は、暑さ寒さは我慢したもんだ」
千葉市議会議員のみなさんは、そう言いたいのでしょうか。だとすると、社会の環境変化に対して全く無知であり無頓着だと言わざるを得ません。

例えば松戸市には、建築後30年を超えた学校が少なくありません。そして、その鉄筋コンクリート建ての校舎が、灼熱の太陽を浴びたことでの蓄熱による校舎内の空気は、大人でもげんなりしてしまいます。
その状態で生活させることは、まだ物事への耐性が不完全な児童・生徒にとっては、より苦痛であると思います。

それを「甘やかし」ととらえるのかどうかという問題だとすると、千葉市議会議員の多くとみのわ信矢の間には、大きな溝があるという事なのでしょう。私は市議会議員として復活できた際には、「公立小中学校へのエアコンの設置」を活動の一つに据えようと思っています。

ところで、議会を取り巻く環境は、それぞれの自治体や地域によって大きく異なります。
例えば、議会には、いろいろな事を求めるさまざまな請願や陳情が出されますが、「誰がその請願や陳情をだしたのか」によって、議会のとらえ方はさまざまなのです。
簡単に言い換えると、同じことを言っても、AさんとBさんでは、受け手の気持ちやとらえ方が全然違うということがありますね。そのような事が、議会にもあるのです。

なので、千葉市議会にも、今回の請願を出した団体と議会の関係において、外からは理解できない事情があったのかも知れません。それくらい、議会と地域、議会と住民という関係性には、ナイーヴな部分もあります。

しかし、です。
今回の請願不採択には、ある程度のことを憶測したとしても、納得・同意することはできません。
子どもたちの学力を向上させ、安定した状態でさまざまな経験を積ませるためにも、子どもたちの成長過程に沿った環境作りは必要です。環境整備が追いついていないから、子どもたちの吸収力が低下する事になるのであれば、それは行政の不作為であると考えます。

予算化への困難さも、自治体によって異なるでしょう。ですから、すぐに予算化し設置できないことへの批判をしているのではありません。「耐える能力」だなどといって不採択ということは、設置しないことへの意義があるということで、みのわ信矢はその考えを批判しているのです。

千葉市議会は、エアコン無しに議会を開催してみる事をお奨めします。
「議場には窓がないんだ」
「子どもと大人は違うんだ」
そう言うのでしょうか?
でも、子どもに「耐える能力」を求めておいてあの暑さに対して無頓着でいるのであれば、ご自身の耐える心で議場の暑さを吹き飛ばしてみては?と思います。

千葉市の小・中学校へのエアコン設置請願の不採択。
みなさんはどうお考えになりますか?



千葉県松戸市 ブログランキングへ











[ 2014/06/27 10:26 ] 社会 | TB(0) | CM(0)

色覚検査について

本日H26年1月27日(月)、日本経済新聞 朝刊に『「色覚で問題」知らず困惑 小学校の検査中止10年 若者、進学・就職でトラブル』という記事が掲載されました。
日経社は、過去も色覚異常について取り上げており、関心を持っているようですね。

みのわ信矢は色覚異常(程度を示す基準が分からないのですが、軽くはない、そこそこのレベルの色弱と言っておきます)を持っているので、関心を持って記事を読みました。
勉強不足でしたが、2003年以降、小学校での色覚検査がなくなったのだそうですね。そして近年、社会に出てから、色覚の異常を自覚し困惑するという事例が多く発生しているというのです。


色覚検査


現在30代以降の方であれば受けた記憶があるであろう、色覚検査。上の画像のような模様を見せられ、数字や文字を読んでいくという検査ですね。

僕は、これが読めないんですね。
すると周囲の友だちは、
「え~~~!なんで読めないの~~~!!」
などととても驚くんです。
そして、小学校2、3年くらいの頃だったと思いますが、母に連れられて、学校から紹介された病院だか訓練センターだかみたいなところに行った記憶もあります。

では、色弱であったことで、危険な目にあったことがあるかというと、そういうことは一切ありません。
多少困ったことがある程度です(もちろんこれは僕自身の感覚であり、また、色覚異常の度合いによっても違うでしょうが)。
例えば、こんなことがありました。
オシャレに目覚めた高校生の頃、カッコいいベージュのパンツ(ズボン)を買って、友だちとの集まりに穿いて行きました。
すると
「ピンクのボトムなんて、すげーな!!」
と言われて、当の僕自身が一番ビックリしたものです。

大学生の頃は、バイト先のアパレルメーカーで大失敗をしました。
「ロール状になっている黒の長い布があるので、1m間隔でカットしておいて」
と言われ仕事に励んだ結果、
「ダレ!緑の生地をこんなに切っちゃったのは???」
と大騒ぎに。。。
まぁ、少し怒られた程度ですみましたが、こんなことはしょっちゅうでした。

時に、僕が色覚異常だということを知った方の中に、聞いてはいけないことを聞いてしまった、という表情を浮かべる方もいました。へぇ、そういう風に受けとめる人もいるんだな、と感じたこともありました。
なので人によっては、周りの人たちとの差異に傷ついたりナーバスになったりするのかもしれませんが、僕は気にしたこともありません。

そして大学時代の就職活動中の時期、ボクお気に入りの冗談の一つが
「オレ、色弱だからパイロットになるのやめるわ」
でした。すると友達は
「成績追いつかないのを色弱のせいにすんじゃねぇ」
と一斉に突っ込んでくれるわけです(苦笑)


しかし、これを笑いごとではないと捉え、「差別撤廃」の観点から運動を展開した方たちがいたそうで、その流れで色覚検査が控えられていることをこのほど知りました。
これには、僕自身はいささか過剰反応(差別だとする考え方が)ではないかなと感じています。

僕自身は行ったことはないし試したこともないのですが、色覚矯正や、補正するメガネなどもあると聞きます。そのような試みの結果、就業に影響が及ばないのに色覚異常を理由に不採用とされるなどが起こるのであればそれには憤りを覚えますし、そこを正していく活動をしてくれていたのであれば意義あるものと思います。
しかし、色覚異常を実際に持っている僕の考えでは、検査そのものをやめようとなってしまうのは、当事者にとっての困惑を不要に大きくするものであって、得策ではないと感じます。

40代半ばの今でもよくあることですが、説明する際に何かを指さし、あの青い箱と言って誰も分からず、それが濃い緑であることなど幾度となく起こります。
自分が色弱であることを自覚していると、周囲が“あれ?”という反応をした時に、“あ、いま見て感じている青は、他の人にとっては青じゃないんだな”ととっさに判断し、色ではなく形状で説明するなどして対応を変えたりします。

でも、もし僕が幼少の頃に色覚異常を自覚していなかったら、と考えてみました。
その想像の一つには、色の話でズレを感じた時の戸惑いを、もしかしたらとても恐ろしいものとして、あるいはとても大きな不安として受け止めてしまうのではないかというものが思い浮かびました。

たまたま僕自身は、色覚異常を意識しなくてはならない職業を選ぼうと思ったことがないので、その点ではもしかしたら幸運だということなのかもしれません。だからあまり神経質にならずに済んだのかもしれません。
それは結果論かもしれないので何とも言えません。そして先述の通り、もし色覚異常が就職試験なので不当に影響してしまうのであれば、それは正してもらいたいと思います。

でも、小学校での検査は、受けさせたほうがいいのではないかと思います。
他者との差異については、気にしない人、とても気になる人、さまざまでしょう。しかし、先天的に持って生まれてきたもので、いつかどこかでそれに気づくのであれば、本人が動揺するような形ではなく、人格形成の初段階において自分の特性として自覚させてあげたほうがいいのではないかと、色覚異常の当事者としては感じています。




千葉県松戸市 ブログランキングへ





[ 2014/01/27 17:28 ] 社会 | TB(0) | CM(0)

暴力的指導をなくすために=反復脅迫からの脱却

なぜ指導者は、暴力的になってしまうのでしょうか。
まず、平成25年6月23日の読売新聞 朝刊からの抜粋です。

【日本バスケットボール協会は22日、大阪市立桜宮高バスケットボール部の男子生徒が、顧問教諭(懲戒免職)から体罰を受けた翌日に自殺した問題を受けて全国の認定コーチに行ったアンケート調査の結果、約1割が過去3年間に暴力行為等を行ったことがあると回答したと発表した。

 (略)アンケートは、(略)全コーチ1万1813人を対象に、記名式で実施。約7割の8296人から回答を得た結果、9・4%に当たる776人が過去3年間に暴力行為等を行ったことがあると答えた。

 具体的な行為(複数回答可)としては、555人が暴言、372人が暴力、28人がパワハラ、2人がセクハラを行ったと回答した。

今後、暴力行為等を一切行わないと誓うかという質問には、98%の8143人が「はい」と答えた一方、9人が「いいえ」、144人が「わからない」と回答した。】



今後の暴力的指導の根絶に『誓約しない』との回答が153名にのぼったことに対して、一部では強い批判が起こっています。
しかし、この回答をただ批判することよりも、なぜ誓約できないかという理由を確認することのほうが大切だと思います。そこから、今後の改善に向けての貴重な要素が抽出できるかもしれないのです。
暴力的指導を「やめるつもりは無い」のか「やめる自信がない」のかでも、誓約しない根拠は違います。このあたりの心理をこの機に深く分析し、日本の指導方法の向上につなげる好機とするべきでしょう。


生徒の自殺という痛ましい出来事によって桜宮高校ばかりがクローズアップされますが、程度の違いこそあれ、日本のスポーツ団体のほとんどで怒声が飛び交う激しい指導が行われていたことに異論はないでしょう。
それは、幼い小学生を集める野球やサッカーのチームでも同様で、小さな子どものミスに対して、大人たちが声を荒らげ激しい叱責をする光景を、僕の息子が所属していた少年野球チームを通して何度も見てきました。どのチームにも数名は「怖いコーチ」がいて、怒鳴られ、時には小突かれ、練習をしています。そして通りすがる方が足を止め、「それくらいの厳しさは必要だよ」と話したりすることからも、日本には時には暴力を伴う厳しい指導を容認する風土があることは確かです。
そして、僕自身も自分の息子に対して、同様のアプローチをしてしまうこともありました。

まず、大人たちが自分を誤魔化すことなく、このような「風土」を容認しながらさまざまな分野での「育成」に関わってきたことを正直に認めることが必要だと思います。そうでなければ、事件として表面化してしまった人だけの問題になってしまいます。

自分の実績に自信がある指導者ほど、「厳しい指導は時に必要であり、そのことなしに高い技術の習得は無い」と考える人の割合が高いように思えます。事件後によくTVのニュースなどで、元プロスポーツ選手らが桜宮高校事件へのコメントを求められていました。そこでは「厳しさは当然必要。暴力と厳しさの境界線を引くことは難しい」というような意見が多く、結局は何も言っていないに等しい歯切れの悪さばかりが目立ちました。

その中で、「楽ませることこそが本道。そのことが心身、技術、全ての効率的な育成に効果的」という、明快な指導論を異色的に唱えていたのが元プロ野球選手の桑田真澄氏でした。その言葉には一切のよどみが無く、確信に満ちた姿勢を感じましたし、僕はこの考え方を全面的に支持したいと思っています。

僕はかねてより、日本の指導者が不必要な厳しさと暴力に頼ってきた理由として、精神分析でいうところの『反復脅迫』の構造がよこたわっていると考えてきました。
この反復脅迫を簡単に説明します。
例えば、いささか心苦しい例なのですが理解しやすいと思うので児童虐待の話しをしますが、虐待された子供は将来、残念ながら虐待をする親となる可能性が高いという研究結果があります。叩かれ、怒鳴られ、虐げられる。その子は、こんな思いはしたくないと思い、大人になったら自分の子供をこんな目にあわせたくないと考えていたのに、同じ事を繰り返す人がとても高い割合でいるというのです。

それはなぜでしょうか。
管理者による支配から逃れられないとき(親と子供、指導者と選手、など)、そこでの苦しい状況をしのぐために、まず逃避するために自分の意識を押し殺し(抑圧)、自分は嫌われているわけじゃないと思い込もうとし(否認)、この仕打ちは自分を愛してくれているからこそ必要なものなのだというすり替え(合理化)を行います。そうでなければ、ただ憎しみのなかで受ける仕打ちに自我が耐え切れません。自尊心を維持し、みじめな自分を自己認識したくないために、このような正当化を自分の中で無意識に行うのです。

しかしこれは、こじつけの正当化でしかありません。本当は、受けた仕打ちに「愛情」など無く、ただ感情的な暴力に振り回されただけだということを、心は察知しています。なので、本当は感じている「憎悪」と、無理やり正当化した「愛情」が自分の心の中に並立し、その間を行ったり来たりし不安定な忠誠心が生まれます。これを反復脅迫といいます。

そして自分が指導をしたり教育をしたり、あるいは躾(しつけ)をする立場になったときに、むりやり作り上げた「愛情に基づいた教育や指導」がムクムクと表面に出てきて、過去に復讐するように、正当化した偽の愛情を持ち出して暴力的になってしまうのです。
スポーツで、みんなから高い評価を受ける実績を残した人が攻撃的な指導をしたがるのも、そのような指導があったからこそ自分は成長できたんだという思い込みがあり、しかしその人の中に残る理不尽な思いの分だけ、理由無く暴力的な指導となって現れると考えられます。

この反復脅迫から抜け出す効果的な手法の一つに、自分が育った環境は、「残念ながら思っていたような愛情に包まれていたわけではないということを認める」ということがあるそうです。親の暴力は「愛情ゆえのしつけ」ではなく、ただの苛立ちであったこと。激しい怒声の中で自分を追い詰める指導者の圧迫は、確信をもっての指導ではなく感情的な気分に左右されたもの。それらを認めることは、その段階で成立した自我の組み換えが必要となり、自我の組み換えは不安と向き合うことになる辛い作業です。そのため、簡単には事実を受け入れられない場合が多いそうですが、それでもそれをしなければ、反復脅迫から抜け出すことは難しいのです。

今回、日本バスケット協会が行ったアンケートで、「暴力を行使したことがあるが、今後はしない」と誓約した指導者が、本当に指導法を変えることができるのか。
さらに言ってしまえば、「暴力的指導をしたことがない」と答えた指導者は、本当にした事が無いのかも分かりません。自分では気づかないまま、客観的に見れば暴力的指導を行っていた人もいたかもしれません。

そして何よりも、アンケートを実施した協会員に、「時に攻撃的指導も必要」という意識が残ってはいないのか、ということも分析する必要があるのではないかと思います。
なぜなら、表面的に思い直しをしただけでは、簡単にゆり戻しが起こります。違う事象が起こったときに、また、「この場合には厳しく叱責しなければ改善はあり得ない」という判断を安直にしてしまうかもしれません。

つまり、これからの日本において、暴力的な指導から脱却するためには、単に現場の指導者に「もうしません」と言わせるだけでは無意味であり、次代に向かって伸びていく人材を育てる全ての人が、自分自身の過去と現在をとらえなおすくらいの徹底的な取り組みが必要ではないでしょうか。
人材育成に関わる多くの人の中にある反復脅迫の構造を壊していくことが、本質的な指導法の改善に向かう方法であると思います。

桑田氏が、PL学園という勝利至上主義の学校で厳しい指導に耐えながら育った選手でありながら、これまでの日本の指導法とはある意味で正反対の手法に意義を見出すようになったのは、恐らく、選手として受けた手術やプレーヤーとしての経験を海外で積んだからではないかと思います。
それまでは、手術=(イコール)選手生命の終わり、と捉えられていた時代に海外に渡り肘の手術を受け復活。また、選手として晩年にメジャーリーガーとなり全く異なった環境で選手生活を送る。
このような前向きな姿勢を以って積み重ねた経験が、桑田氏の意識構造を自然と変え、パラダイムの転換がスムーズになされたのではないかと考えています。

前出の新聞記事にあるような、同バスケット協会による【体罰を行った小村基元教諭(47)のコーチ登録を抹消、資格取り消し処分とする。また、アンケートの結果、選手に治療が必要なけがをさせたコーチ8人には弁明を聞いたうえで戒告の処分を下す。けがはさせなかったが、暴力行為等を行っていた767人にも文書で注意する】ような対応では、課題はたいして解消することもなく、改善に向かうとは思えません。
繰り返しますが、暴力的な指導があったことを認識していた同協会員自らも、自己の意識を組み替えて問題解決にあたらなければ、構造的な問題など解決できるはずは無いのです。
そしてそれは、バスケット協会だけでなく、日本のあらゆる地域で活動する団体やチームも同様です。

前述の通り、自我の組み換えをすることはとても苦しい作業です。しかし、子どもたちや若者を育てる立場の指導者がその困難を受け入れて乗り越えることができなければ、それこそ苦難を乗り越えなにかを達成させるための指導者の立場にふさわしい人材とはいえません。

指導者の資質、それはつまり、自分自身の固定観念や偽りの自己認識から脱却できたかどうかで計ることも、ひとつの指針ではないかと思います。




千葉県松戸市 ブログランキングへ



[ 2013/06/25 11:23 ] 社会 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

みのわ信矢

Author:みのわ信矢
“まつど”で生まれ、“まつど”で育った僕。“まつど”がもっともっと元気で優しい街になることを願っています。
まちづくり、政治経済、野球/ソフトボールに子ども会、etc・・・。たくさんのことを、たくさんの人たちと一緒に考え、行動することの大切さを感じています。
地域活性化を願う全国の方々との交流も、どんどん持っていきたいですね!

みのわ信矢のtwitter
カウンター