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まつどTODAY~松戸市議会議員 みのわ信矢のまちづくりブログ

松戸市議会議員 みのわ信矢の『まつどTODAY』にようこそ! 当ブログは、“まつど”で生まれ、育った僕が、 “まつど”が優しく元気な街になるように願うブログ。 地域活性化を目指す全国の皆さんも、是非ご覧下さい!
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『少子化非常事態宣言』を全国知事会が採択

H26年7月16日、全国知事会において『少子化非常事態宣言』が採択されました。

赤ちゃん ママ 少子化


「少子化をくい止めることができなければ日本は衰退する」。「そして今が重大な岐路にある」。さらに「今こそ思い切った政策を展開し、国と地方が総力を挙げて取り組む時」と、全国知事会は訴えています。

この主張に、異論は全くありません。
問題は、各都市・各地域が、ひいては各人がどのように“覚悟”を決めて少子化対策に取り組むか、という点に尽きます。

言うまでもなく、全国には多数の“地域”があります。行政区割りという括りでいえば、H26年4月現在で1,718の市町村があり、その市町村においても特性の異なる地域がいくつもあるという自治体もあるでしょう。
南から北まで多種多様な地域があり、それぞれに異なる事情があるなかで、「少子化を食い止めよう」という全国的な目標に対して、何をするべきかを一般化することはとても難しいことでしょう。

例えば、H26年7月20日朝刊の読売新聞のコラムには、「地方から東京への若者流出が止まらなければ、少子化の進行は防げない」という研究成果を引用した文章が掲載されており、「都会」との対比としての「地方」の活性化が課題という考え方にも説得力を感じることはできます。

全体的なことばかりを考えていても仕方ないので、僕が生まれ育ち、住み続けている「松戸市」に視点を据えて考えてみます。
上記のように、「少子化を防ぐためには、地方に若者が根付き、経済的にも発展を願う」ことが重要であり都会への若者流出を止めようということは、松戸市にとっては、これからの都市経営においてはリスクと言えます。都市間競争にさらされるぞ、地域同士の戦いは不可避なんだ、近年は都市マーケティングに詳しいと言う方々の多くがそう言います。人を呼び寄せろ。そのための施策を組み立てろ。役所も、地元の青年会や各種団体も、そのために知恵を練る日々です。
そして、ただ人口を増加させるだけではいけません。若者や子育て世代を呼び寄せなければなりません。「里山資本主義」がヒットし都市運営の旗手とされる藻谷浩介さんらが指摘していますが、これまでの延長線上の考え方で大都市が人口増を狙うとなると、それは高齢者を増加させることに他ならず、社会コストが財政上のさらに大きな問題となります。
それゆえ、都市間競争という概念で都市の将来を考えだすと、若者・子育て世代の流入を図ることが求められることになります。

それは、分かりやすく表現すれば、「これだけ便利です」、「こんなに生活しやすいです」、「素敵なファミリー・ライフを実現できます」という呼び寄せ方になるでしょう。

しかし、このようなアプローチは、先述の「東京(つまり大都市)への若者流出を食い止めろ」という全国的な視野での要請と矛盾してしまいます。
少子化対策への取り組みを一般化できない、とはこういうことです。

では、なにも手を打たなくていいかといえば、そんなはずはありません。
であるならば、お前はどう考えるんだ?と僕自身も突きつけられます。
都市間競争という枠組みではなく、現状の地域事情の中で少子化対策を練る。本稿の前段で“覚悟が問われる”と言ったのは、そういう意味においてです。

正直に言って、覚悟を持った具体案というものをまだ組み立て切れてはいません。それを率直に申し上げたうえでの僕の考え方の一例を述べてみます。
まず、古い男性社会特有の概念を転換させることからは避けられず、思考転換の努力をしなければならないでしょう。
それを市議会議員としての活動にイメージさせるならば、役所の職員の男女比において、女性の割合を高めるための働きかけをすることも一つでしょう。とはいえ、現役の男性職員を退職させることも難しいのであれば、新規採用において圧倒的多数を女性で採用するなどの手立てが必要かもしれません。
そうなると、『男性差別だ』、『雇用機会均等の原則からはずれる』など、批判は容易に想像できます。それに、これまでいわゆるフェミニストが達成できなかったこのような方策を取り入れることに、口には出さなくとも、フェミニズムに敗北したような気になり、男性の多くが抵抗を示すでしょう。正直にいいますが、そのような採用形態が実現するとすれば僕自身の中にもそのような思いはきっと浮かぶと思います。
しかし、です。そんなことを言っていて、少子化防止が必要だと言えるのでしょうか、ということです。その言葉を、僕も僕自身に突きつけなければならない、ということなのです。それが、必要とされる“覚悟”なのだということです。自分自身の観念を転換させることは、ある人にとってはとても苦痛で、時には屈辱的な場合もあるかもしれません。少子化対策というのは、しかし、そのような面も必要とされることがあるのだということを、私たちは自覚する必要があるのかも知れないのです。

女性の社会活動を支えることだけが少子化対策であるはずもなく、あくまでも一例にすぎませんが、そのように自分が実際に取り組むべきことを各人が考えることが、なにより必要であろうと思います。
そうでなければ、全国知事会が非常事態レベルの少子化なんだと訴えても、繰り返しますが、全国的に一般化された方策が打ち出せなければ、単なるお題目にすぎません。

簡単に解決策や実行案を示せるほど小さな問題ではありませんが、一人ひとりが自分の生活と将来に向き合い、考え続けるべき問題であることは確かです。





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[ 2014/07/20 14:37 ] 政治 | TB(0) | CM(0)

幼児教育無償化、年収360万円未満家庭の5歳児へと検討

幼児教育無償化が一歩前進のきざしです!



園児 幼稚園 子ども



本日の朝刊各紙で、幼児教育無償化が一歩前進との報道がありました。
以下、読売新聞朝刊の記事から。

【幼児教育の段階的無償化について文部科学省がまとめた原案について、下村文部科学相は15日の閣議後記者会見で、来年度から年収が360万円未満の家庭の5歳児を対象としたい考えを表明した。】

まずは、段階的に進めるための第一歩として、前向きに評価したいと思います。
少子化対策の一環としても、今後、段階的に完全無償化に向かってくれるよう望みます!

普段は批判される事の多い政府筋。
国民に厳しく監視される立場なのでそれも仕方ありませんが、しかし、このような判断を示してくれる場合などは、評価もしてあげたいものです。





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[ 2014/07/15 19:34 ] 政治 | TB(0) | CM(0)

友人のシンポジウムに参加

辻 清人

総選挙に向けて、各地でさまざまな動きが急展開しています。

その中で、11月21日、みのわ信矢の15年来の友人である「辻 清人(つじ きよと)」くんのシンポジウムの応援に行ってきました。

東京2区で、深谷隆司氏からのバトンを受けて国政を目指す辻くん。33歳という若さと、国際的な活動をバックボーンとした高い政治的資質を持った、即戦力として期待される逸材です。

会場となった日本橋公会堂にはこの日、400人近い聴衆が彼の言葉を聞きに集まり、熱気に包まれました。

第1部での選挙区の状況報告では、同地区で長きに渡り活躍された深谷氏が、政界引退の挨拶とあわせて、後任として辻清人くんを指名したことを後援者に報告。大いなる可能性を秘めた辻くんを大きく育てて欲しいと、深谷先生からもお願いの言葉がありました。

〈1枚目の写真:深谷先生(右)から後継指名を受け登壇する辻くん(左)〉

辻 清人
丸川珠代氏(左)をコーディネーターとして開催されたパネルディスカッション。右が片山さつき参議院議員、中央が辻清人くん



第2部は、丸川珠代参議院議員をコーディネーターとして、同じく参議院議員の片山さつき氏をパネラーに交えてのパネルディスカッション。
ここでも辻くんは、国際的な経験に基づいた視点で、現在の日本の状況と課題、その解決策などを堂々と主張。全国区の知名度を誇る現職国会議員とも対等以上に渡り合える実力を示してくれ、片山さつき氏においては「辻さんと小泉進次郎さんを、日本を代表する政治家に育てることが、私のひとつの仕事だと確信した」とまで言いきりました。

会場に詰めかけた方々も、これからの日本の将来を託せる人材の登場に期待を寄せ、最後は大きな拍手で辻くんに声援を送っていました。


辻 清人
シンポジウムを終え、丸川氏、片山氏らとともに、協力者に挨拶する辻くん。頼もしい青年です!

辻清人HP
http://k-tsuji.jp
/








[ 2012/11/24 10:39 ] 政治 | TB(0) | CM(0)

大阪府 国歌斉唱に教員の起立を義務化

大阪府が国歌斉唱時に教員の起立を義務化する条例案を、実質には維新の会の単独採決で可決しました。

かつて国旗国歌法を成立させた自民が反対したことなど、首をかしげる面もありますが、いずれにせよこれで強制力が生まれたことに間違いはありません。

僕自身は、国旗は日の丸だと当たり前に考えていますし、君が代が国歌であることに疑いを持ったこともありません。そして、君が代の“君”がさすものが天皇陛下であることに違和感は微塵もなく、「天皇は象徴であり、なんの象徴であるかと言えば国民であるので、君は国民全体を指す民主的な歌詞だ』という新手の保守的解釈すら詭弁であると思っているほど、原理的な保守派だと自認しています。

それでも、今回の大阪府の条例には、とても残念な思いを抱いています。

もちろん、国歌斉唱で起立をしない教員を擁護したいとは思いませんし、間違っていると思います。しかし、処分をすればいいというものでもないと思うのです。橋下知事は、「これで学校長などが健全なリーダーシップを取れる」というような発言をしていましたが、このような規制の中で司る運営などリーダーシップとは言えないと思います。

僕が小学生の頃、シルバーシートを普及させ当時の国鉄が導入するときに起こった小さな議論を、今でも覚えています。
「立っていることが自分より困難であろう人に、制度がなければ席も譲れない国民なのか」。

日本を間違った戦争に導いたのは天皇制の中での軍国主義で、その象徴が君が代であり日の丸だ。民主制と相反する天皇制を軸とした国家体系など解体すべき。そんな小手先の論理を振りかざす人が多すぎると思います。
当たり前ですが、歌に罪があるわけはなく、シンボルそのものが悪事を犯すわけではありません。それを利用するのは、人間です。音楽や描画が社会的悪事に利用され、結果的に加担することがあったとしても、その時々で合理的に、合法的に、それらを利用したのは、同じ国民の誰かです。
戦後、GHQによる東京裁判を経た我が国で、影響力をもってきちんと天皇の戦争責任を問うた人はいるでしょうか。僕が市議会議員の1期目に活動していた当時、所属していた自民系の会派で、国旗国家法案への早期実現を求める政府への請願を議案化しようとした動きがありました。それに対して僕は先輩議員に「申し訳ないが、戦中派と言われる世代もいる先輩方は、きちんと戦争の総括をされたのでしょうか。それなしに、ただ世の中の右傾化に迎合する形で国旗国歌法に擦り寄るのは卑怯ではないか」と主張し、同請願に反対しました。先にも述べましたが、それは、国旗国歌を尊ばなくてよいという話とは、次元を異にするものです。

今回の維新の会の意識の根底に、これと同様の、軽薄なナショナリズムを感じてなりません。彼らにとって大切なのは、国家の軸としての国旗国歌ではなく、橋下知事を象徴として大衆迎合し保身を図る薄っぺらい議会心情でしかありません。

『あなたたちは(わたしたちは)、制度がなければ、国旗国歌を尊重することもできないのか』

私たち日本人のアイデンティティやナショナリズムの再構築は、急を要する大きな課題です。だからこそ、軽薄な制度や規制に頼らず、近代史を個々が徹底的に検証し、思想的政治的議論を通して、本質的な国民意識の確立に向かうべきであり、そのための役割として議会と言うものが機能しなければなりません。
では、特に地方議会でどのようにその役割を担うべきでしょうか。例えば一つとして、証人に記名性があり、その発言への公的責任を負う形での特別委員会などを設け、起立しない理由、伴奏をしない理由などをつぶさに尋ね、つまびらかにし、その事への対処を議会として行政に求める議案をその都度、提案します。その議案には質疑がなされ、討論も行われることになりますが、その議会を構成する全ての議員が賛成もしくは反対の討論を行った上で、採決します。このことで、少なくともその自治体の議会の国家観は最低限は客観視できるのではないでしょうか。そのためには、歴史への検証と考察は欠かせず、自らの国家観が評価・判断されていくことにつながります。

しかし、今回の維新の会による議決までの流れを見ると、そのように個人が責任を負う形では、議会は議案の進行を行ったとは思えません。繰り返しますが、表面的な迎合を大衆に対してしたと言うことですらなく、ただただ人気者の橋下知事にぶら下がって、パフォーマンスをしたに過ぎません。

そのような人たちに、それこそ国旗国歌を利用されるのはまっぴらです。







[ 2011/06/04 09:49 ] 政治 | TB(0) | CM(0)

『沈黙の螺旋』の救世主は被災地の方々

管内閣に対する不信任案決議が、予想を超える大差で否決されました。

一般的な国民感情からすると、管内閣の継続を求める向きは圧倒的少数ではないでしょうか。ただ、今後の復興の基礎を固めなければならない今、解散総選挙を前提とした野党の動きにも、党利優先という印象を拭えず、特に被災地の方々は複雑な思いで昨日までの動きを見ていたように思います。
管政権が継続することの是非はここではひとまず置かせていただき、今の我が国が抱える危険について書きたいと思います。

では、その危険とは何か。
それは、現在の政治状況が、ファシズムを生み、独裁政治に向かう道筋となってしまわないかという点です。

「沈黙の螺旋(ちんもくのらせん)」という政治理論があります。エリザベート・ノイルというドイツの学者が唱えたもので、ナチスの台頭という悲劇を通過して、その検証などをもとに構築された社会意識への考察です。
この沈黙の螺旋理論によると、ファシズムへの過程を4つの段階に分けています。

1.経済的な閉塞感による漠然とした大衆の不安
 景気が悪くなり、将来に不安を抱えるが、しかし具体的・画期的な打開策を誰も示せず、漠然とした不安を国民が抱えます。

2.身内に対して仮想的を立てる
その漠然とした不安や苛立ちに対して、権力者は、国民の不安の解消とは別に、多くの国民に支持される政治課題を新たに見つけようとあれこれ検討します。鬱屈した国民感情を怒りとして向けさせ、大衆を誘導しようとするのです。
世界の歴史では、この段階で他国との戦争となる場合が多いのですが、国費の面などさまざまな理由でそれを実行できない場合に、次の段階へと進みます。

3.少数意見を封殺して一つの世論に
国外に敵を立てる事ができない時に、国民のネガティブな感情を怒りとして向けさせる先として、国内のどこかが選択されます。ドイツであればユダヤ、そして日本であれば公務員、というように。そして、歴史的経緯や背景などはほとんど無視され、時の感情のままに、強烈な批判と攻撃にさらされます。その流れに、異論を唱える少数派は、集団への帰属の危機を感じ、口を閉ざして大きな流れに追従し、ついには世論は一つしかなくなります。

4.指導者を妄信する世論の完成
その後、その“仮想的”を発見した者を指導者として、多くの国民が“内なる敵”を攻撃し続けることで、かりそめの達成感や陶酔感を得ます。そこで生まれたのは、集団で現実逃避をしたことによる連帯感ですが、そのような集団心理は、指導者を妄信し、次なる攻撃先を求めてしまいます。


これを、バブル経済崩壊後の日本に当てはめてみます。

1.プラザ合意後の急激な景気の高騰から一変し、一気に経済的な苦しみを味わい始めますが、次なる景気浮揚の手立てもなく、国民は苛立ち始めました。

2.その責任を他国に求めようとしますが、もともと巨大な双子の赤字を抱えた米金融の救済策としての面が大きく、その役割を果たすためのプラザ合意を基本としているため、米国には文句も言えません。米国債を売り払ってやりたいと呟いた橋本龍太郎氏は、国際的な非難も浴びました。その米国が主導する国連中心主義の先進国に対しても、自立的な態度もとれないまま、国際社会の中での孤立が際立ち始めます。

3.景気が良ければ、人々はこんな風に言っていました。「誰が地方公務員になんかなるんだよ。あんな人たちは、議員なんかのコネで地元で生活するしかない人たちなんだろう」。しかし、景気が悪くなると、その安定性や厳しくはない労働環境に対して、嫉妬や怒りが沸き起こり、一気に批判の的になりました。或いは、“議員”という存在もそうかもしれません。「なにもしてないクセに、先生なんて呼ばれて、高給を取ってやがる」。そのため、公共的な政策でどのように暮らしの向上を図るかという判断材料よりも、公務員批判や議員批判をただ展開する人が有権者に支持されやすいようなマインドが高まっています。

4.野党による対案と比較して与党が劣っているならまだしも、合理的な比較ではない批判の中で、常に“与党”的なものが攻撃されるようになりました。特に政党政治に対する信頼は、地に落ちてしまったと感じます。しかし、政党政治のメカニズムは、日本の憲法が現行としてある以上、合理性や効率性も踏まえ現実的な政治を行うにおいて必要な構図であるはずです。加えて、議員内閣制をも一気に不要なものと言わんばかりのポピュリズムが、今回の管内閣不信任案可決を期待する意識の根底にあったような気がしてなりません。


私は民主党支持ではありませんし、自民党籍を持った市議会議員でした。それに、管首相を好き・嫌いという多少下品な判断をすれば、嫌いです。しかし、今回の不信任案が可決されなかったことは、良かったと思っています。

それはなぜか。
今回、沈黙の螺旋へと陥らせなかったのは、まさに被災者の方々でした。野党は『被災者のために管ではダメだ』といって不信任をつきつけ、一方では何もできないのに『被災者のために頑張るときにこんなことをしている場合か』といって野党を批判する与党。そのどちらにも冷ややかな目を向け、ただただ、平穏な日常を願う被災者の思いが、稚拙な倒閣図を回避させたのではないかと思います。そうでなければ、管政権の支持率や評価から見て、民主党の造反を確保した賛成派が過半数を握り、不信任は可決されていたでしょう。
そういった流れで登場する首相や政権が、健全な支持を得たものとは私には考え難いものです。そこで表れる代表や政権が即座にファシズムを現実のものとするわけではないかも知れません。それよりも、恐らくですが、交代した後で、同じように国民から総スカンを食うような気もします。ただ、そういう事を繰り返しながら、沈黙の螺旋の第4段階を迎えて、誰かがその中心に据えられてしまうことが、私が思う、現在の政治情勢における危険性なのです。

自主的な、早期の退陣を仄(ほの)めかして首相に居座るなどと既に言われ始めていますが、それでもその事は、近い将来に国民的に批判し、管氏への評価として厳しく下せばいいと思います。繰り返しますが、民主党も管氏も、僕は評価しませんし、嫌いです。でも、被災地の方々の「普通の暮らしを取り戻したい」という当たり前の、そして切実な願いが、「今やるべきことは復興だ」という目的や目標を再確認させてくれたのです。経緯はどうあれ、不信任案は否決されました。ならば私たちは一丸となって復興を目指し、沈黙の螺旋から逃れて、健全な絆による国民の連帯を築いていかなければならないと思います。空虚な倒閣劇が大きな悲劇につながるより、今は、あれほどダメでも一度は選んだ首相に対して、与野党ともに最善の策を提示しながら前進していくしかないのです。




[ 2011/06/03 13:38 ] 政治 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

みのわ信矢

Author:みのわ信矢
“まつど”で生まれ、“まつど”で育った僕。“まつど”がもっともっと元気で優しい街になることを願っています。まちづくり、政治経済、野球/ソフトボールに子ども会、etc・・・。たくさんのことを、たくさんの人たちと一緒に考え、行動することの大切さを感じています。地域活性化を願う全国の方々との交流も、どんどん持っていきたいですね!

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