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まつどTODAY~松戸市議会議員 みのわ信矢のまちづくりブログ

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遺体保管所の反対運動を考える


 2014年春、川崎市中原区において民間事業者による遺体保管所の建設が予定されました。この計画に地域住民が強く反発し、反対運動が起こっていることが、TV番組などで報道され、話題になっています。
 この問題は、みのわ信矢が活動する松戸市にとっても対岸の火事と思えず、関心を寄せていました。例えば、最近特に話題となるのが、「保育園新設に対する、騒音対策などへの過剰な要望」。あるいは、実際にみのわ信矢も協力を求められた松戸市常盤平地区での「葬儀場営業への強い反対運動」など、同類の争いは各地で多発しています。
そこで2014年8月15日、実際に現地を訪れてきました。

 以下、長いレポートになるので結論から先に述べます。

 この問題は、適法行為であっても自分の意に沿わない事柄を感覚的に否定する、いわゆるNIMBY(ニンビー、Not In My Back Yardの略)による反対であり、住民による施設排除への要請には合理性が無いと思えます。
そして、各自治体は今後、さまざまな地域で起こるであろう同様の紛争に対して、「社会的囲い込み」の手法で問題の解消にあたるべきで、そのための技術を身に付けていくことが必要です。

 このような結論に至った経緯を、以下にレポートします。



川崎市中原区とは、どんなところ?
 川崎市は、人口およそ146万人を擁する政令指定都市。地理的には、神奈川県内では横浜市に隣接し、多摩川を挟んで東京都の大田区や世田谷区、調布市や狛江市といった自治体に囲まれた、神奈川県最東端の街です。
 同市は7つの行政区によって構成され、問題の遺体保管所は中原区宮内という地区で営業が予定されています。

 この中原区、人口は約24万3千人。JR南武線、横須賀線、湘南新宿ラインの3路線が乗り入れる武蔵小杉駅周辺は、長谷工アーベスト社による住みたい街2013年ランキングで3位となるなど、近年、街のイメージを急速に向上させています。市内にはその他私鉄路線も多数敷かれており、都内主要駅への良好なアクセス環境と、超高層ビル化による駅周辺再開発が人気の要因でしょう。



遺体保管所とは?
 そのように、急速に街のイメージが向上している中原区の一画に、問題の遺体保管所は建てられました。開業予定は2014年9月。周辺住民がこのことを知ったのは同年6月頃のことだと言います。
 ところでこの遺体保管所、亡くなったご遺体を火葬するまでの間、一時的に保管をしておく場所のことです。住宅事情でご遺体を自宅に保管しておけない、故人が独居であったため保管場所が必要、それらのような事情とあわせて葬祭場などでの葬儀を予定しない(葬儀の簡素化)風潮が強まり、このような保管所の需要が高まっていると言われています。
 1階部分が9室の保管室に区切られ、それぞれの小部屋に冷蔵施設はなくドライアイスなどで遺体の保存にあたるという同施設は、お悔やみの訪問などに対応するため24時間営業とのこと。

 みのわ信矢は現地での聞き取りなどを行う前に、TBSでの報道、ミヤネ屋での特集、そして地元事情を知らせるWEBサイト「カナロコ」など、ネットで情報を収集していました。そこで共通しているのが「超高齢化社会による新たな社会問題や都市課題が発生」という切り口。しかし僕は、その問題提起に感覚的な違和感を抱いていました。それらについての詳細は後述しますが、いずれにせよ準備が進められている遺体保管所問題は、現代の「公共施設と住民意識との関係性」における課題を象徴していることに間違いはないとの思いで現地を訪ねました。



工場や公共施設、そして住宅が並ぶ一画に建設された遺体保管所
 8月15日10時30分、車で現地に到着。近くのパーキングに駐車し、早速周辺を歩き回ります。保管所は、二子多摩川方面と武蔵小杉方面を結ぶ道路から入り徒歩約2分、反対側の多摩川堤防沿いの道路からも路地を入り同じく徒歩2分ほどの場所にありました。

川崎市 遺体保管所
問題となっている川崎市の遺体保管所。
工場の跡地を利用し、1階に9室の保管室で区切られる。


 この区域は、中原区宮前の「準工業地域」。準工業地域を簡単に言えば、都市計画法上、「環境の悪化をもたらす恐れのない工業の利便を増進するため定める地域」とされています(※準工業地域についての詳細は、例えばリンクのようなサイトでご確認ください)。
○住宅、○幼稚園や学校、○大型店舗(面積制限なし)、大規模事務所(面積制限なし)、工場(面積制限はないが、危険性が大きいか、または著しく環境を悪化させる恐れのあるものは除く)、○ホテル・旅館(風俗的な要素のあるものは不可)、○娯楽場、キャバレー等、○自動車教習所、そして○倉庫業の倉庫などが建築可能ですが、同保管所はもとは工場の跡地を借り受け、この「倉庫業」としての届け出にて営業を予定します。

 そもそも川崎市は、京浜工業地帯として戦後の産業を支えた地域。そして実際、保管所周辺にも、近年減少し続けているとはいえ、まだ中・小の工場が稼働しています。それに障がい者センターなどの公共施設、中・小規模のマンションや集合住宅、そして戸建住宅が併存し地域が構成されており、整然というよりやや雑然とした街並みという印象。そして近年も、工場跡地を建売住宅として分譲するためのミニ開発が保管所周辺で続けて進められており、同所の真裏にも、まだ新しい建売住宅数件が並んでいます。小さな自転車が置いてあるお宅やビニールプールが壁に立てかけてあるなど、幼児のいる子育て世帯が多く生活していることが伺え、先述した同区の高感度の高さを、しばらくはその年代をターゲットにしなげながら開発が進められていくのでしょう。
 近年の良好なイメージによる人口増を期待するように、1957年開校と歴史ある川崎市立宮内小学校では、校舎や校庭の大規模改修とリフォームがしっかりとなされています。各学年4クラス、900人近くを有し大規模校と言える同校は、さらなる児童増への対応を進めています。

川崎市 遺体保管所
さらなる児童数増に備えて改修も万全の宮内小学校。
とてもキレイな学校で同区に住宅の購入を考える子育て世代には高ポイントだろう



 ところで、用途地域の話しに戻りますが、このエリアは準工業地区である同所に、「第一種中高層住居専用地域」と「第一種住居地域」が隣り合っています。そして、図を見て頂くと分かりますが、同保管所は、その3つの境界線が交じり合った場所の準工業地区にあたります。第一種中高層住居専用地域も、第一種住居地域も、目的の主なものは「住環境の保護」にあると言えます。そしての2地域では、「倉庫業」はできません。



川崎市 遺体保管所
遺体保管所とその周辺の用途地域図

 これは推測ですが、同保管所隣接の住民にしてみると、「ほぼ同じ地区なのに、すぐそこの第一種住居地域や第一種中高層住居専用地域ではできないのに、ここでは建てることができてしまう」ことへのやり切れなさがあるのではないか、そこに被害者意識が増大する一つの要因があるのではないかとも思えました。同施設から歩いて40秒ほどのお宅でヒヤリングした60代の男性は、準工業地域では同施設の建設及び営業が可能であることをどう考えるかを伺うと、それまでの雰囲気が一変し、突如、「そういうことを聞く時点で、この問題の本質を理解していないよそ者のやじ馬でしかないんだ」と声を荒らげました。ヒヤリングさせていただいた方のほとんどは、保管所問題に関心を持って別の地区からわざわざ来たのだから、きっと業者や行政に批判の目を向けている人間などだろうという思いが無条件にありました。なので、反対の意識が強い方ほどヒヤリングに快く応じて下さるのですが、完全な反対擁護派ではないと分かった時に(僕はそもそも、客観的に判断するために同地を訪れています)、大なり小なり対応は変わります。そして、この方へのこの質問前後の感情の振れ幅の大きさは、そのまま都市課題としての理不尽さや不透明さ、被害者意識などと比例しているのだろうと思えました。

川崎市 遺体保管所

川崎市 遺体保管所
この市道から入り徒歩2分で遺体保管所に。
この道を境に準工業地域と住居地域に分かれる。


川崎市 遺体保管所
多摩川堤防沿いの道路から小道を入り徒歩2分で遺体保管所に。


川崎市 遺体保管所
多摩川堤防道路から入る小道に掲げられた古い看板。
遺体保管所の周辺はかつては工場のエリアだったことがうかがえる。





保管所に「直接隣接する住民」と「周辺住民」の意識の違い。
そしてメディアの報道への違和感

  ところで、なにか都市課題めいたものが起こったときに、メディアで盛んに言われている「地域住民の強い反対」。この時の「地域」を、どのようにイメージするでしょうか。
 一般には、例えば「町会のほとんどの住民が強く怒っている」、連日役所を反対派住民が訪れ協議を重ねている、というようなことだと思います。
 同保管所周辺での実態としては(あくまでも地域の声を拾ったみのわ信矢の主観ですが)、強い反対を表明しているのは直接的に隣接する住民であって、同保管所から半径30メートル以上離れた地区では、あまり強い熱を確認することはできませんでした。ここに、メディアの報道とのギャップを既に少なからず感じました。

 例えば、同保管所の斜め向かいでビニールプールを出して遊んでいたご一家の30代後半と思しき奥様にお話を伺うと、「とにかく反対。許せない」という強い口調で同計画への不満を主張されますし、そのまたお向かいの70代前半とお見受けするご婦人も「気味が悪いから嫌だ」ときっぱりとおっしゃいます。そして保管所の前を歩いていた同じく70代の女性は、「保管所のはす向かいの路地を入った所に住んでいるが、どうも遺体の保管の仕方が良くないと聞くし、寄りあい(説明会)には行かなかったけど反対だ」とのお話し。そして前出の60代男性は「あんなものができたらこの地域のイメージが台無しだし、資産価値も下がるだろう。その責任はだれが取るんだ」と同計画を断罪します。

 しかし、路地を2本も隔てると、住民のとらえ方は一変します。
 「なにかそういう問題はあるみたいだけど、よく分からない」、「無ければ無い方がいいけれど、造っていいならしょうがないようにも思う」、「冷蔵庫くらいあれば、みんなあんなに反対しないのではないか」、「突然計画を知らされたら近くの人が怒るのも無理ないかもしれない」と、冷静な口調で答えて下さる方がほとんどで、強い反対を表明される方はいませんでした。


川崎市 遺体保管所
遺体保管所から歩いて1分もするとマンションや戸建てが整然と並ぶ住居地域。
道を1本隔てただけで遺体保管所への住民の印象が大きく違う。




反対運動の現在の状況
 さて、反対運動についてですが、TVなどで大きく取り上げられた6月から7月にかけて盛り上がりつつあった機運は、現在ではやや縮小されているようです。以前、東京都大田区でも同じように遺体保管所建設について反対運動が起こったそうですが、中原区での開業に反対する住民には、大田区で反対活動した方々と連絡を取り合い、その経緯や経験を学んでいる人たちもいます。そのような交流の中で情報交換をしても、保管所の開業予定日が近づくにつれ、「やっぱりできてしまうんだ」という諦めが広がり、熱心な反対活動を展開できないといったことがあるようです。

 「“建設絶対反対!”などのプラカードを街中に掲げて闘う」ということをTVでも見ていましたが、実際に現場に行ってみると、そのような看板や横断幕、プラカードは全く見かけません。これにもいくつか理由があるようで、そこまでの行動を取ってくれる支援者が広がらないというものから、ある方によれば「営業妨害だとする、業者からの提訴」を警戒して控えている人もいるという話も聞けました。
 今後、反対派が巻き返しに出るのか、それともこのままの状況で推移していくのか、そのあたりについては確かなことは掴めていません。しかし、9月の開業予定に対して約1か月前でのこの状況からすると、反対派による営業の阻止は難しいと思えます。

 およそ2時間で12名の方々のお話を伺い、現場を離れ、川崎市役所まちづくり局に向かいました。





川崎市は事後対応として、条例化を予定
  同日午後14時30分、アポなしで川崎市役所を訪問。事前のお願いをしていなかったのですが、総合受付で同問題についてお話を伺いたいと申し出ると、まちづくり局総務部庶務課の職員が対応して下さいました。

 そこでまず驚いたのは、同保管所への住民の反対運動について川崎市が知ったのは、まずTVでの放映が初めてだったとのこと。その後、7月下旬になり、反対を表明する住民の代表者らが要望書を提出するため、副市長を訪ねたそうです。
 そして住民との何度かの面会を重ねながら対応を検討したが、同保管所について、市としては建設ならびに営業を取り消させることは難しいという認識だとのこと。法令に基づく判断として、市の立場は理解できますし、そうだろうと思います。

 そしてこの問題を契機として市は、「条例化」への検討を始めたと言います。
 この「条例化」。ネットなどでの事前の情報収集で既に知っていましたが、なにを目的として、どのような条例制定に向かうのか、よく分かりませんでしたが、この日の面談で概要を把握することができました。
同市まちづくり局によれば、住民からの反対表明を受けて福田市長は、まず、『同様の種類の建築物、つまり多くの住民が“迷惑施設だと考えるであろうもの”の洗い出しの指示を出した』のだそうです。現在は、その抽出を進めている段階だそうですが、その内容が整理された後、それらの計画から準備、実際の施行から営業開始に至るまでの過程が事前にしっかりと近隣住民に周知されるよう、告知や説明を求める内容を盛り込んだ条例となるだろうとのことでした。つまり条例化の目的は、『市としては、迷惑施設に準ずるものの稼働へのプロセスを整理する。かつ、事業者や建設主に対しては、予定するその内容を事前に周辺住民に周知させること』となります。しかしこの段階において既に弱腰な部分も感じられるのですが、「罰則などを盛り込むことは難しいと考えており、努力義務の域を出ることはないかも知れない」(同まちづくり局)のだそうです。


川崎市 遺体保管所
川崎市役所 本庁舎

川崎市 遺体保管所

川崎市 遺体保管所
川崎市まちづくり局



遺体保管所反対はNIMBY(ニンビー)によるもの。
それに対して市の「条例化」は正しい対処?

 以上が同日のフィールドワークの概要ですが、今回の騒動について、みのわ信矢なりの考えを述べます。
 率直に申し上げて、反対する住民の意識に合理的な面や妥当性を見ることができず、同保管所の開業を取りやめるべきとする求めは過剰要求であると考えます。

 「適法であり必要性はあろうとも自分の近所では許さない」という姿勢をもつ住民を“NIMBY(ニンビー)”と呼ぶことがあります。Not In My Back Yardの略で、「自分の家の裏ではダメ」と主張する言葉からきていますが、本件で業者の撤退を望む声は、まさにこのニンビーに当てはまると思えるのです。
 いささか細かい区分けですが、ニンビーはノイジー・マイノリティーとも異なります。ノイジー・マイノリティーには、全てとは言えずとも、中には妥当性や汲むべき正論が内在している場合があります。しかし、あえてニンビーと位置付けるのは、論理的正当性や合理性を見出しにくいケース。つまり多くの人にはエゴや我がままと映ってしまう状態にあります。本件は、そういう状況だと僕は感じました。

 そのような状況にあって、今回の住民による反対運動の仕方も、それを受けての「条例化」という行政対応も、今後各地で起こるであろう同様の問題に対する参考事例には全くならないだろうと思いました。
「まだこの問題ですら決着していないのに、なぜそんなことが言えるんだ」と言われそうです。でも、今後にはなんの役にも立ちません。
 その理由は、この反対運動もそうですし、近年話題の「保育園建設にあたって防音壁をつくらせる」といった問題などもそうですが、「適法なものへの強烈な反対」という状態に対して、各自治体での課題の抽出が間違っており、問題解消の方法がずれているからに他なりません。「どこが問題なのか」、「なにが課題なのか」を見誤っていれば、当然、対処も間違いです。先に記載した川崎市の条例化の検討などは、まさにそれを示しています。
 どういうことかを、以下に記します。



遺体保存所への需要は、超高齢化が原因?
 遺体保管所問題への対処について、僕なりの考えを述べる前に、もう一度この問題を見てみます。

 これも同問題を報道したメディアが共通して言うことですが、「超高齢化社会が招いた新たな都市問題」という言い方をします。「高齢者が急増 → 火葬設備や葬祭施設の不足 → 遺体埋葬までの長期化 → 民間による遺体保管所の事業化 → 新たな迷惑施設 → 反対」という構図。この問題を取り扱った多くの報道で、火葬施設が減少し続けていることとの関連が指摘されていますが、本当でしょうか。
 確かに、火葬施設は減少しています。しかし、こと川崎市においては、火葬が追い付いていないという状況ではないと市は言います。東京に隣接するベッドタウンという点で類似している我が松戸市でも、同じく火葬炉の不足は問題にはなっていません。
 しかしそれは、「火葬までの待機期間が無い」ということでもありません。亡くなってから火葬までの期間、自宅なのか、民間葬儀場の安置室なのかは別として、数日間の保管がなされることは以前からあり、近年急増したものではありません。実際、僕の祖母が亡くなった2010年10月、祖母の遺体は3日間、葬儀を依頼した葬祭場にて保管されました。それは六曜の関係で、それまで葬儀を執り行うことを控えた私たち遺族の問題でした。
 また、1970年7月、曾祖母が近くの病院で亡くなった後、遺体を自宅に引き取り2日間家族と共に過ごし、その後葬儀を行いました。その際は、棺桶の中の体をドライアイスで囲み、葬儀社の方がドライアイスを交換に来てくれての対応でした。夏の2日間を、ドライアイスでの対応で遺体を自宅に保管しても、臭いなどその他生活における違和感や弊害を意識した記憶はありません。

 川崎市や大田区の都市部で遺体保管所が必要となった要因は、火葬場の不足や高齢化よりも、生活スタイル、住宅事情、葬儀の仕方、などといった事への意識の変化にあるのだと考えられます。火葬の場が相対的に少なくなったからではなく、亡くなる方が急増しているからでもなく、遺体を保存する環境が変わったということだと言えます。一つの例を乱暴に示せば、「葬儀会社に頼まず、でも遺体を自宅にも置かず・置けず、どこかに保管しなければならない」というケースが増えたというようなこと。

 そしてそれは、メディアが言うような「超高齢化社会が生んだ新たな問題」ではないのです。




“迷惑施設”とは、なにか?
 次に、遺体保管所は、本当に“迷惑施設”なのかを考えてみます。
 社会における“迷惑施設”とはなんでしょうか。法律用語としては、迷惑施設という考え方はありません。慣例的な行政用語としても、ありません。まぁ、隠語として、あるいは慣用句としてはいろいろあったのでしょうが、共通概念を立てるために定義しようとすると、なかなか難しいところがあります。気持ちは、分かります。遺体保管所を迷惑施設だと言いたいその気持ちは、理解はできます。しかし、例えばパチンコ屋の隣に住むことを何とも思わない人もいれば絶対に嫌だという人もいますし、100㎡以上の金属加工工場の間近で暮らすことは嫌だという人もいればそうでない人もいる。迷惑施設とするかどうかは、人それぞれです。

 「都市計画法上、用途地域において除外対象となっている建物」。もし“迷惑施設”をもう少し具体的に言うなら、僕ならこうなるのかなと思います。それぞれの地区を社会全体の発展のためにどう活用するか、そのために用途地域は設定されています。「ここは産業全体の発展のために大きな工場をたくさん作れる工業地域にして、効率的に生産性を向上させる地区にしよう」とか、「仕事で疲れた人の安らぎのために、徹底的に良好な住環境を維持する住居専用地域にしよう」など。法律で規定した目的の達成を阻止してしまうものは除外される、それが“迷惑施設”ではないかと思うのです。しかしそれだって「そうじゃない」という人がいるからこそ、この問題が生じているわけです。人の感覚に大きく左右されるからこそ、とても難しいのですね。





川崎市による条例化への疑問
 この度の騒動を受けて条例化に向かうという川崎市の対応に、いくつか疑問があります。
 まず、先述のように“迷惑施設”の一般化が難しい中で、それらへの事前対応を考察することが有益なのでしょうか。
 それに、仮に今回の保管所が迷惑施設だとする住民との広いコンセンサスが取れたとして、その稼働へのプロセスが明確化されていれば今回の騒動が起こらなかったと考えているのでしょうか。

 ニンビーは、「嫌なものはイヤ」な人です。クレイジー・クレイマーは、「自分だけを特別扱いしろ」な人です。そのようなタイプの紛争解消に、川崎市が準備する条例化は機能するとは思えません。遺体保管所にしても保育所建設にしても、反対派の多くが口にするのは、広い同意を得るためのそれらしい詭弁でしかありません。それを根拠にして対応策を練っても、砂上の楼閣でしかないのは明らかです。もしそれに意義があるのであれば、紛争解消や問題解決に対してではなく、行政の不作為への非難に対するパフォーマンスのためでしょう(実際には不作為はありません。不作為だと強弁する反対派の言葉に反論することなくその場しのぎの対応を考えてしまう役人の意識が問題なのですが)。

 繰り返しますが、遺体保管所に営利事業としての需要が生まれたのは超高齢化社会の進行によるものではなく、社会的に一般化された迷惑施設の建設に地域が混乱しているからでもありません。原因も要因も共有できていない現象に対して、対応策などを検討してもムダなのです。




原因は「感情の劣化」であり、「社会的囲い込み」での対処を
 川崎市の準備する条例化が正しい対処ではないとすれば、では、どうすればいいのか。
 この種の紛争には「感情の劣化」が要因としてあることがほとんどです。この感情の劣化とは、「自身が相対化されることなく、かつ自身を客観的に確認することもしなくていいような、摩擦係数が小さく同調圧力も無視できる無責任な社会環境で引き起こされる、人格の退化」と表すことができます。これも乱暴に例えれば、「都心衛星都市に比較的安価に家を買い、仕事は都内に通い続け、地元に仲間は少ない。だから自宅の周辺ではわがままに振る舞っても恥ずかしくない」という男性がいたとして、自分が気にいらない環境については地元の役所に怒鳴り散らすような人になる、というようなことです。ネット上に罵詈雑言が飛び交うのも、基本的には同じ構図です。
 このような人が、団塊の世代の大量離職により近年急増しています。事実、ニンビーやクレイジー・クレイマーの多くは60前後以降の男性だという社会学者が多数います。
 そして今回の遺体保管所の反対運動の根底に、この「感情の劣化」が見られると考えます。

 では、そのような人が提示する攻撃に、どう対処するべきか。それは「囲い込み」という手法が有効な一つの手立てなのだと思っています。
 非常識な、あるいは過剰な受け止め方をしている一部の住民の意見に、正当性を持つ決定が偏った影響を受けないように、常識的な判断を周囲の住民から引き出し、しっかりと相対化された意見のバランスを客観的に提示する。そうして、過剰な感情を抑え、解消せざるを得ない状態に向けていく。社会的囲い込みとは、そのような手法を言います。
 理不尽で正当性を持たないニンビーらによる求めには、そのような態度で臨むことが、これからの社会には必要なのだと思います。

 これまでのように、“文句を言う住民には市民プールの無料券を何枚か渡して黙らせる”的な不要な補償での対応では対処しきれません。川崎市には申し訳ないのですが、同市の検討している条例化では、この域を出ていないように思えます。

 この「感情の劣化」を要因とした紛争での「囲い込み」による解消を実践するためには、高い対人スキルが求められます。それを身に付けるには、専門的な学習や研修が必要となります。しかし現代では、安易なアド・オンで何かをする(バラまく、条例をつくる)よりも、周到な対応で障害を解消するアプローチのほうが本質的な地域整備なのだということを、地方自治体には理解をして欲しいと思います。




戸田市のコミュニティ推進課による取り組み
 最後に、社会的囲い込みの実践例として、戸田市の取り組みを紹介します。
 H26年度組織図ではその名称がなくなっていますが、かつての「コミュニティ推進課」での施策として、「住民の意向を深く理解し把握するための対人スキルの職員研修」がなされていました(※詳しくは当ブログの過去記事をご覧ください)。高層マンションなどの建設が続く人口の急増において、いわゆる新住民と旧住民の対立を最小限に止めるための方策を検討した同市は、お互いの利害や思いをまず理解することが必要と考えコミュニティ推進課を設置。そしてその職員には専門的な研修を受けさせ、ミスのない対応で住民の内面をほぐしながら関係性を築くという取り組みを展開しました。みのわ信矢は同課を実際にアポなしで訪ねたことがありますが、とても素晴らしい対応に驚いたものです。

 人は人でしか育てられず、人でしか変えられず、人としかつながらない。
 複雑な社会であるからこそ、社会の基本に立ち返った理念を再確認し、最新の行政スキルを習得することが現代の自治体には求められているのだと思います。



※本稿のデータは全て2014年8月現在で確認したものです。



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千葉都市部は高齢者だけが激増!?

みのわ信矢が先日参加した指定都市市長会主催のシンポジウム『ニッポンを元気に!~日本経済を牽引する指定都市~』(当日の報告はコチラ)。

パネルディスカッションの冒頭で、コーディネータの藻谷浩介さんから示されたデータがとても興味深いものでした。

日本の大都市における人口の推移について示したものです。
図1は近年の大都市の推移、下の図2は20年後の予測です。


図1
人口動態


図2
人口動態

ちなみに、「自然増」とは生まれた赤ちゃんが亡くなった人よりも多い事をいい、「社会増」とは転入した人が転出した人よりも多い事をいいます。


大都市の人口の動きについて、現在と20年後のそれぞれを当てはめると、ピンクで塗った部分にほとんどが位置します。

これを見ると、現在の日本の大都市は、自然増が見られ、かつ、社会増となる都市がほとんど。都市経営においては健全な状態に思われます。
85年のバブル期以降、いわゆるドーナツ化が進みましたが、最近は都心回帰。近年はデフレであることで、地下も下がったことなどで、便利な都市部での生活を求める方が増えたことが大きな要因でしょう。

その中でも、千葉の都市部は、全国的にもトップクラスの位置におり、利便性の高さによりたくさんの方々が住みたいと感じてもらえている地域であることが浮かんできます。



一方で、20年後の予測を見てみます。
ピンクで示された部分がほぼ同じ形でスライドし、そのほとんどが社会増はあっても自然減となると予測されています。
その中で千葉の都市部は同じくトップクラスに位置しており、高齢者の伸び率は実に50%にもなろうかという数値さえ予想されています。


これらから何が言えるのでしょう。
それは、次のような都市の姿です。
『人口が増えるということは、高齢者が増えるということ』であり、また、『高齢者を増やすことでなければ、人口を増やせない』ということでもあります。

それはつまり、日本の大都市ほど、生産者世代の割合を増やすことが、極端に難しくなるということです。


消費や公共サービスの享受において、社会機能が密集した都市部の方が、高齢者にとって住みやすく便利な地域であることは明らかです。そして実際、生産活動から引退した方々が一気に都市部に流入し始めており、その高齢者の生活を支えるための地方財政にとって貴重な生産人口は減少の一途。

企業は、利益が生まれない環境であるときに、リストラなどでスリム化して経営効率化を計れば、比較的に利益の確保はしやすいと言えます。
しかし、民間企業と自治体が大きく異なるのは、自治体にとっては歳出を抑制するために都市機能をスリム化することは許されず、生産性だけを極端に高くすることが命題となる点です。
基準需要を削らずに、サービスの質も量も向上させなければならないのです。



この事に対して、特効薬などないと、先のシンポジウムで藻谷氏も、基調講演をした岸博幸氏もいいます。そして神戸市、横浜市、広島市のそれぞれの市長もそれに同意します。

そして、自治体の運営において、全国の地域を十把一絡げにして考えたヒモ付き補助金に飛びつくような行政政策を展開していては、ますます財政を厳しいものとするだろうと、先出の現職の首長が指摘しています。
一時的に財政規模が膨らんで住民サービスを向上させたかに見えるような、まやかしの手法は取るべきではないのです。


このことを軸に、現在の松戸市を見てみます。
松戸市は本年度、過去最大規模の予算を編成しました。地元企業の育成や生産者人口の確保への努力の跡も見えない中で、安直に中央の補助に頼った主体性の無い歳入構造で、予算額も、市債も、財調も増やしました。なんとも平坦で、意義や価値の見出しにくい予算なのでしょうか。

その姿は、多くの識者が指摘するような、とってはいけないまやかしの手法だけを十年一日の如く展開する行政姿勢のように、みのわ信矢には思えます。みのわ信矢が本郷谷市長の行政姿勢を疑い、『理念なき増額予算』と批判し続ける理由は、ここにあるのです。


民主党時代は『地域主権』、自民党政権においては『地方分権』と、言葉は違えど、地方の自立性と主体性を担保する分権型社会の実現がこれからの日本に不可欠なのは言うまでもありません。

その流れをくみ、理解し、勇気と使命感を持ってこれからの行政運営に向かうことができるのか。

現在の松戸市には大きな課題と言えます。






シンポジウム『ニッポンを元気に!~日本経済を牽引する指定都市~』

指定都市市長会が主催したシンポジウム 『ニッポンを元気に!~日本経済を牽引する指定都市~』に参加してきました。

シンポジウム

指定都市市長会とは、大都市特有のさまざまな行政課題や住民ニーズを踏まえて、効果的で効率的な行政サービスを行うことができるよう、地方分権改革の推進や新たな大都市制度の創設に関する活動を行い、政府への提言などもしています。地方分権を進めることにより、まちづくりや福祉など多くの分野で、それぞれの地域の市民の要望に沿った行政の実践を目指している団体と言えます。





みのわ信矢の取り組みの主軸のひとつに、この「地方分権」があります。
かつては松戸青年会議所などで、まちづくり及び地方分権推進の担当理事として活動するなど、広域行政の実現、分権型社会の推進などを続けておよそ20年が経とうとしています。

「自分たちの街は、自分たちでつくる」
「わたしたちの未来は、わたしたちで築く」
そのような当たり前のまちづくり、地域づくりができません。

価値観が多様化し、明治を経て戦後高度に構築された集権体制では国民のニーズに対応しきれず、地方に活力を与えることができないことが明らかになっても、国は地方を信用せず、権限を移そうとはしません。

地方分権の必要性においては、さまざまな角度で研究も進み提言もなされていますが、中央官庁の壁はとても厚く、なかなか地方の自立に繋がるような流れにはなりません。


このシンポジウムにおいては、大都市の具体的な姿を通して、分権の重要性を訴えることが目的でした。

基調講演として、慶応大学大学院教授の岸博幸さんのお話。
続くパネルディスカッションでは、日本総研の藻谷浩介さんがコーディネータを務め、
岸さんに加えて矢田立郎神戸市長、林文子横浜市長、松井一實広島市長がパネラーとして登壇。
それぞれの取り組みとビジョンを具体的に示しながら、地方の自立性を担保する権限の委譲の必要性などを示されました。

それぞれの立場から示される具体的な事例やデータは、現場に身をおき、国との交渉に苦労を重ねておられる方々の思いが詰まった、とても説得力のあるものでした。

特に、分権による地方の再生は、ひいては国家の経済力を向上させる力があり、国に早くそのことに気づいて欲しいという訴えには、大いに日本の可能性を感じることができ、とても力強いものだったように思います。



シンポジウム

シンポジウム






東京都児童会館が閉館

今年度末、H24年3月31日をもって、渋谷にある東京都児童会館が閉館になるとのコラムを読みました。


東京都児童館


僕は中学から大学まで、青山学院で育ちました。大学の1・2年は当時の厚木キャンパスに通いましたが、それ以外は青山のキャンパス内にある中・高・大のそれぞれの施設に通っていました。
この児童会館には、中等部の頃、土・日に学校近くで友達と集まったときに、特に何が楽しい場所でもないのだけれど、お金を使わずに時間をつぶせる施設としてたまに行っていたことを思い出します。

都内の私立の中学校には、いろいろな地域から生徒が通っています。
千葉県の松戸に住む僕は特に遠くから通っていた生徒で、「千葉に行くにはパスポートがいるんだよなw?」なんてからかわれたりもしましたね(笑)。
それはともかく、各地に住む友達が土・日に渋谷で待ち合わせて遊ぶわけですが、渋谷までは通学定期券があるのでお金はかかりませんが、それ以外にそうそうお金を使うわけにもいきません。公園で鬼ごっこという年齢でもなくなっていて、出費をともなわず時間をつぶせる場所を探しながら友達と過ごすことが多かったのです。その時に、たまに訪れていた場所が、この児童会館でした。

ざっと30年は足を運んでいないので今の様子は分かりません。あくまでも当時の雰囲気ですが、ハンマーコング(重たいハンマーで的をたたき、その勢いで重りをどれだけ高くとばせるかという大型玩具)やパンチング・マシン、卓球やバドミントン、あとはオンボロのトランポリンなんかで、キャッキャいいながら遊んだような記憶があります。

また、音楽が大好きだったので、中学1年生から友達とバンドを組んでいました。渋谷のヨドバシカメラの裏手にあった河合楽器の5Fのスタジオがお決まりの練習場所ですが、当然、レンタル料がかかり、長時間の練習はできません。なので、楽器を担いで児童会館に移り、多目的スペースみたいな場所で、アンプを通さずに演奏の練習をしたりもしたものです。

高等部にはいると、時間の使い方が変わってきたため、児童会館に行くことは全く無くなりました。それ以来、一度も足を運んだことはありません。


今朝、同会館閉館のコラムをネットで目にし、東京都議会が決めた閉館そのものにたいして、千葉県の松戸に住む僕がその是非について語るつもりもありません。
ただ、一般論として、児童館政策って難しいんだよな、と改めて感じたりはしています。

僕の地元の松戸市には、市が保有する児童館が1つあります。それはたまたま僕が住む町会内にあり、もう中学生になったため行くことが無くなった長男も、小学生の頃はよく友達と行っていたようです。現在4年生の長女は、友達と待ち合わせ、設置されたパソコンで計算のソフトをしたり、お絵かきをしたりと、時折利用しています。

では、市内の各地から、小さなお子さんを連れてこの児童館に遊びにくるご家庭がどれほどあるかというと、細かく調査したわけではありませんが、あまり多くはないのが実情です。
誤解を恐れずに表現すると、松戸市では児童館政策を日本共産党が積極的に推進していたことがバイアスとなり、児童館政策への議論が停滞してきたという背景があります(推進派とそれを警戒する側、どちらが良い・悪いという判断はひとまず置いて、客観的な状況として記載しています)。

小さなお子さんを持つご家庭にとっても、子ども自身にとっても、居場所づくりの必要性に関する議論は、地域でますます深める必要があることは確かです。児童館を増やそう、増やさなければいけないということではなく、増やすにせよ、違う政策展開をするにせよ、子どもと保護者双方にとっての「居場所」が十分に確保されているか、仮に不足しているのであればどのような施策を打ち出すべきなのか、現代の子育て事情を深く鑑みながら検証していかなければならない点だと思っています。
若干話しは膨らんでしまいますが、これは高齢者政策にたいしても同じです。リタイアされた世代が同じような時間が延々と流れる日常において、日々の暮らしにアクセントを持て、孤独に埋没しないような時間を、経済的に大きな負担を伴わずに提供できる場とはどういうものか、もっともっと検討すべきです。老後の豊かな生活へのイメージを生産層の安心感につなげ、地域生活の醸成を計ることは、多面的な意義を有しているのです。

と、少しオーバーランしましたが、児童館に関する一般論に話を戻します。
児童館政策に限りませんが、ハコ物の難しさに、物理的な問題、距離の問題があります。
先述の通り、松戸市の児童館は僕の自宅のほど近くにあり、僕たち家族にはとても便利ですが、市内の別の地区から親子が訪れているかというと、そうではありません。同施設が、例えば僕の家から車で20分の地区にあったとすると、恐らく僕は子どもたちを車に乗せて、仕事が休みの日にその施設に子どもと一緒に行くことは無かっただろうと思います。
つまり、近いから行く、そういう施設だと感じます。

こう言ってしまうと、児童館はいらないと言っているように聞こえてしまうでしょうが、そうではありません。今の施設と機能、運営に対する考え方では、広い需要を生むにはつながらないと率直に感じますが、今日的な社会状況に合わせた「居場所づくり」の検討が不要だと考えているわけでもありません。
では、現在の環境に合った児童館政策/子どもの・親子の居場所づくりとはどのようなものかと問われれば、それに対して明確な回答もできません。

ただ、こと松戸市に関して言えば、児童館政策への議論が、必要性を主張する側も、抑制を求める側も、いささか感情的な対峙を続けてきてしまったなという思いはあります。
恐らくですが、北新宿に機能移転する都の児童政策も、目的が継続されていないのではないかなど、さまざまな議論を呼んでいくでしょう。
千葉に住む僕ですが、大きな政策転換が訪れた東京都が子育て環境をどのようにとらえ、子育て家庭にたいする公的サポートのあり方をどう検討していくのかを参考にできるという点で、今後の東京都議会の児童福祉に関する議論には注目する価値があると思っています。





歳末警戒

今日と明日は、我が西窪町会の歳末警戒で、子ども会を中心に夜警をします。

みのわ信矢 歳末警戒 夜警

みのわ信矢 歳末警戒 夜警

常盤平西窪町会で、みのわ信矢は副会長と子ども会長を兼務。毎年、子ども会から40~50名の子どもたちに参加してもらい、拍子木を鳴らし火の用心の声をかけながら、町内を練り歩きます。

「火の用心、マッチ一本火事のもと」というお馴染みのフレーズですが、毎年、子どもたちから「マッチってなに??」という質問を受けますね^^

4グループに分かれて、45分ほどの夜回りを終えたあとは、温かいトン汁が子どもたちを向かえます。そして、参加賞としてお菓子の詰め合わせをプレゼント♪

それにしても、今夜はやけに寒かった・・・。
明日の夜もまた寒さが厳しいのかな・・・??




プロフィール

みのわ信矢

Author:みのわ信矢
“まつど”で生まれ、“まつど”で育った僕。“まつど”がもっともっと元気で優しい街になることを願っています。
まちづくり、政治経済、野球/ソフトボールに子ども会、etc・・・。たくさんのことを、たくさんの人たちと一緒に考え、行動することの大切さを感じています。
地域活性化を願う全国の方々との交流も、どんどん持っていきたいですね!

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